最高裁判所第二小法廷 昭和46年(オ)198号 判決 1976年4月23日
上告人
財団法人 京都施薬院協会
右代表者理事
松本信一
右訴訟代理人
三谷武司
被上告人
日本医療団
右代表者清算人
久下勝次
右訴訟代理人
伊藤敬寿
被上告人
京都市
右代表者市長
舩橋求己
右訴訟代理人
納富義光
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人三谷武司の上告理由第一点及び第二点について
原判決の確定したところによると、(一)上告人は大正一四年二月三日「博愛慈善の趣旨に基づき病傷者を救治療養すること」を寄附行為の目的として設立された財団法人であつて、その経営する病院においてもつぱら貧窮傷病者の治療を行つてきた特殊慈善医療団体であり、一方被上告人日本医療団(以下「被上告人医療団」という。)は昭和一七年法律第七〇号に基づき設立された法人であり、全国各都道府県を単位として支部を設け、当該都道府県知事を支部長とするものであつたが、昭和二二年法律第一二八号によつて解散し、目下清算中である、(二)上告人は昭和一九年一〇月一一日被上告人医療団に対し前記病院の敷地及び建物の全部(以下「本件不動産」という。)と同病院の備品器具等(以下「本件動産」という。)を代金合計七〇万〇二二三円五八銭で売り渡し(以下右売買を「本件売買」という。)右売却物件の引渡をするとともに本件不動産につき所有権移転登記を経た、(三)本件売買は、上告人において仮称「健康学園」の設立による新事業を行うためのものであつたが、右事業は上告人の寄附行為の目的の範囲を逸脱するものであつたので、上告人は、右売買に先立ち、昭和一九年二月一四日開催の評議員会において、本件売買承認の決議をするとともに、寄附行為を変更してその目的に国民健康に関する事業を加える旨の決議をしたが、当時右寄附行為変更の効力発生に必要な主務官庁の認可に関する手続をとらず、昭和二一年二月四日付申請に基づき同年三月二〇日至り主務官庁である京都府知事の認可を得た、(四)被上告人医療団は、前記解散に際し、上告人に対して本件売買物件の買戻を申し出てその交渉をしたところ、その頃上告人が資金もなく病院経営の意思もないとして右申出を拒絶したので、同被上告人は、昭和二三年六月一五日本件不動産のうち当時残存する物件を、同二四年二月四日本件不動産を、他の所有財産とともにそれぞれ被上告人京都市に売り渡し、右不動産につきその旨の所有権移転登記を経由した、(五)被上告人医療団は、上告人から本件動産及び不動産を譲り受けて以来、病院としての施設の拡張及び設備の改善を行い、また、同被上告人からこれを譲り受けた被上告人京都市においても更に設備を拡充し京都市中央病院としてその経営をしてきたものであり、本件売買の目的とされた建物のうちには既に朽廃滅失したものがある一方、その後増築された新たな建物部分が現存している、というのであつて、以上の事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。
しかして、前記事実関係からすると、本件売買は上告人の寄附行為の目的の範囲外である事業のためにされた無効の行為であるというべきところ、上告人は、右売買に先立ち、これを有効ならしめるために寄附行為の定めるところに従つて寄附行為の変更についての評議員会の決議を経たにもかかわらず、その認可申請の手続をとることなく放置したまま右売買及び代金の授受を行つたものであり、更に、上告人は、昭和二一年三月二〇日付で右寄附行為の変更につき主務官庁の認可を得て本件売買の追認が可能となつた段階において、被上告人医療団から本件売買物件の買戻の交渉を受けながら、上告人にはその資金もなく病院経営の意思もないとしてこれを拒絶したのであり、このことは上告人が本件売買を追認したものと解する余地がないではなく、かかる状況のもとに被上告人医療団が右物件を被上告人京都市に転売するに至つたものであるから、右転売にあたり、被上告人医療団及び同京都市は、上告人が後日に至り本件売買の無効を主張してこれに基づく権利行使をするようなことはないものと信じ、かく信ずるにつき正当の事由があつたというべきであり、また、本訴の提起された昭和二七年八月二九日当時、右売買物件のうち建物については、既に朽廃滅失したものがある一方、増築された部分があつてその原状に著しい変動を生じていたというのであつて、これら諸般の事情のもとにおいて、上告人が本件売買の時から七年一〇か月余を経た後に本訴を提起し、右売買の無効を主張して売買物件の返還又は返還に代わる損害賠償を請求することは、信義則上許されないものと解するのが相当であるから、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第三点及び第四点について
被上告人医療団は、第一審以来本件につき信義則ないし権利失効の原則を適用すべき旨を必要かつ十分に主張し、上告人もそれに対する反論を繰り返してきたことは記録上明らかである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(小川信雄 岡原昌男 大塚喜一郎 吉田豊)
上告代理人三谷武司の上告状記載の上告理由<略>
上告代理人三谷武司の上告理由
第一点 原判決は、民法第一条の「信義誠実」の解釈を正解せず、不当にこれを拡張し、所謂「信義則」本件の場合その内容たる「権利失効の原則」を適用した違法(法令違背)がある。この法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。すなわち
(一) そもそも「権利失効の原則」はドイツにおいても、これが、すべての法律領域に一般的原則として認められるまでには永い年月を要したのである。ドイツにおいてこの原則が問題にされ出したのは、第一次大戦前後に遡る。そして最初判例は、三つの法領域についてのみこれを認めた。その一は、かの甚しいインフレ時代に金銭債権の増額請求権について、その二は商標権について、その三は労働法の領域において雇主の解雇権等についてのみ認められ、一九三〇年代の末に至つても、この原則をすべての法領域に亘る普遍的な原則とみとめるかどうか、ドイツ大審院の各部によつて必ずしも見解は一致しなかつたが、やがて学説の支持を得て、動ようと矛盾を重ねた結果判例として通説の承認を受けるに至つたものの、現在においても、その適用に当つて極めて慎重たることを要するとされている原則である。
そして、我が国において、最高裁は、従前は、この原則の適用ありとする上告理由に対しては、しばしば「所論のような法理が我国法の解釈上直ちに採用し得るものとは解し難い」等と簡単に排斥して来たのであるが、最高裁第三小法廷昭和三〇年一一月二二日判決(民集一四巻二〇四七頁、同第二小法廷同年一二月一六日判決(判例時報六五号八頁)および同第三小法廷昭和四〇年四月六日判決(民集一九巻三号五六四頁)に至つて漸次抽象的には失効の原則自体を是認しうることを説示するようになつた。しかし、いずれもこの原則を適用するための具体的要件が備わらない案件であるとし、この原則については極めて慎重であつた。むろん、適用すべき法領域なり、適用に当り必要とする要件事実なり、また如何なる権利に適用ありとするのかなどは今後の判例の累積に俟つほかはない。
殊にドイツにおいては、請求権の消滅時効の完成する期間は三〇年の長期、形成権については消滅時効の規定を欠いているに対し、我国においては請求権の消滅時効の完成する期間は一〇年の短期、形成権の消滅時効についても適用すべき規定を持つている。したがつて、彼と此とでは、この原則を生んだ土壌を異にし、この原則を必要とする度合において天地の差があり、我国においてこの原則を適用するに当り、より慎重であるべきは勿論である。
しかるに原判決は、以下述べるがごとく簡単にこの原則を適用したもので、軽率のそしりを免れず、この点特に充分なる御検討を賜りたい。
(二) 先づ、権利失効の原則の側からみるのではなく、無効の原因があるかどうかという側からみて、無効の原因が確認される以上無効の法律上の性質からして失効の原則は適用がありえない。つまるところ失効の原則など無効の場合は受けつけないのではあるまいか。むろん失効の原則が問題となる権利には請求権をはじめ種々存する。しかし、問題が無効確認の訴とか、無効確認を前提とする所有権に基づく原状回復請求のような場合は、権利失効の原則は適用外であると考える。けだし、「無効」は、その法律上の性質からいつて、時の経過や事情の変化によつて有効となることはありえない。(このことは通説)とされ民法上の大原則であるし、契約の無効というのは、契約以前の白紙になることである。そして、例えば、取消の訴などは権利が不確定状態をいつまでも放置しておくことは法律上の保護に値しないということから失効が問題となるのであつて、そうでない本件のような訴は始めから何もなかつた状態に回復することを求める訴であるから期間や事情の変化の制約をうけず、絶対性をもつている(なお、附言すれば所有権は消滅時効によつては消滅しない)からである。
(三) 次に、この原則の内容にふれるが、昭和三〇年一一月の前記小法廷の判決は「解除権を有する者が久しきに亘りこれを行使せず、相手方においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由を有するに至つたため、その後これを行使することが信義誠実の原則に反すると認められるような特段の事由がある場合には、右解除は許されないと解するのが相当である」と判示するが、果してこれだけで充分であろうか。ドイツにおいて確立された法理はむしろ「請求権又は形成権を有するものが、その権利の存在を知つた後、久しい間これを行使せず、その結果、相手方において、その権利がもはや行使されないものと正当に信頼し、今更これを行使することが信義則に反すると認められる場合は、右権利の行使は許されない」と理解すべきである。そして、一学説、例、エンネクチエールス(我妻栄・ジユリスト九九号二頁参照)によつても「ある人が永くその権利を行使しないでおつて、そのために、相手方をして、かれはもはやその権利を行使しないであろうと正当な期待を抱かしめた場合において、その遅延した権利の行使が取引界を支配する信義誠実の原則に照らして一般に不誠実と認められるとき(不誠実な遅延)は、相手方はその権利の行使に対し失権の抗弁をもつて対抗することができる」という。ここに至つて、彼の英米法におけるエストツペルの原則にふれざるを得ないが、この原則は権利の上に眠り、永い間黙認して来た腐りかけた請求権の行使に対し適用され、少くとも権利者の側に存することを要する主観的要件として故らの遅滞懈怠または黙認のいずれかが必要なことは周知のとおりである。いずれにせよ、失効の原則の認められるために権利者側に、権利あることを知り乍ら権利の上に眠つていること、つまり故らの遅滞、懈怠の認められることが最重要なる要件だと考える。
ところで、本件においてこのような主観的要件が認められることができるであろうか。
厚生病院の敷地建物を含む本件不動産の売買契約(以下本件売買契約と称する)がなされたのは昭和一九年一〇月一一日であり、上告人協会の長野仙之助元会長以下当時の幹部によつてなされたものであるが、上告人側としてはそれが如何に特別権力関係の下になされたものであつたとしても、同契約が原判決説示のように無効であつたことを知つていたとみるのは無理であつて、むしろ法律的に有効なりと信じ、無効などとは露知らなかつたと推認するのが自然である。そうだとすると長野会長以下の幹部が、上告人協会の幹部である限り(長野らが退陣した昭和二一年四月四日までは)前記契約を無効だとして本件のような訴を起せという方が無理であつてこれを期待する余地は全くない。したがつてこの間懈怠という要件を認め得ないことはむろんである。そして昭和二一年一月末頃上告人協会の元理事日下毅一がマツカーサー司令部へ長野らの不正事実を申告することを決意したことを知つたため、京都府において役員を改選することを約し、急拠同年四月四日従前の全役員が退陣し、浅山忠愛博士を会長とする新幹部により上告人協会が発足してからが問題であるが、浅山会長が就任して以来上告人協会は理事会を開催して本件病院を被上告人医療団より買戻すことを決議し、じ来くり返しこの買戻のために陳情奔走し、昭和二六年一二月二八日被上告人市の市長に対し復興上申書を提出し、更に昭和二七年六月二七日上告人協会より京都市全衛生委員らに対し懇願書を提出したが、相手にされず、その間昭和二六年七月本件一審の訴訟代理人田中蔵六弁護士によつて始めて本件売買契約が無効であることを理由として出訴可能であることを知らされ昭和二七年八月二九日本訴を提起した。また本訴提起のための証拠の収集に相当年月を要したことは勿論である。以上の事実は法廷に現われた全証拠(殊に甲第一八、一九号証や乙第五号証を見よ)および弁論の全趣旨により明らかである。そうだとすれば、そこには権利あることを知り乍らこれを行使しなかったとか、懈怠という観念を容れる余地はない。
(四) さらに原判決は「控訴人としては、本訴提起に至るまで満七年一〇ケ月余にわたつて、その権利を行使しなかつた」と判示して、失権効の原則適用のために必要である一つのメルクマールである「久しき亘り権利を行使せず」との要件を充足しているかの如く説示する。
しかし乍ら、一体素人の集りである上告人協会に本件契約が寄附行為の目的の範囲外だから無効だなどの高級な法律論の理解できる筈はない。現に本件の第一審京都地裁は一〇年もの審理の後、目的の範囲内で有効だと判断しており、原二審ですら、出訴一八年数ケ月の審理の後始めて改正前の寄附行為の下で判断すべきものであり、該寄附行為の下で本件売買契約は無効だと判断したのではないか。目的の範囲外で無効だなどと言うことは上告人協会で多年に亘り証拠を収集した後、昭和二七年八月二九日出訴する直前漸く弁護士に対する鑑定料などを寄附する奇篤なスポンサーを得て、法律家に聞いて始めて会得したことであり、極論すれば無効であることを確実に知つたのは原判決を読んで始めてだといつてよい。裁判所ですら、その有効無効を判断するのに一八年数ケ月を要した本件のような難件の場合において、満七年一〇ケ月とか満三年六ケ月出訴しなかつたといつて、久しきに亘り権利を行使なかつたと判断すること自体当事者に無理を強いるものである。一体それでも上告人が久しきに亘り権利を行使しなかつたとか、権利の上に眠つていたと言えるであろうか。本件のような訴を仮りに一種の形成権の行使であり時効にかかる?と解してみても、満七年一〇ケ月というのは民法一六七条の定める時効期間と対比してみても余りにも短い期間であると私は言いたいのである。したがつてこの一点からみても本件に失効の原則を適用したのは違法である。
(五) 最後に、信義則違反自体が本件では問題にならないのではあるまいか。すなわち、原判決は自ら認可申請の手続をとることなく放置して売買を無効とする結果を招いたのに、自分が訴え出たことが相手方に対する信義則違反だという。果してそうであろうか。本件では原判決三の(四)の認定は後に述べるように経験則違反または事実誤認だと考えるが、それはさし置いても、本件売買契約ないし転売契約のなされた時は戦争直前ないし終戦直後の混乱期(売買当時は、終戦直前で、戦勢日々に日本の敗色を濃くしていた過程において矢つぎ早に強制強行された非常時立法及び委任命令は国民の自由意思を極度に制限禁止して時にはその処分を強要することすら可能であつた。(我妻栄・「経済再建と統制立法」八頁。)また転売当時である終戦後の日本経済の混乱については戦後の金融措置令(昭和二一年勅令第八三号)日本銀行預入令(昭和二一年緊勅八四号)等をまつまでもなく、公知の事実である))になされたものである。そして、上告人協会は厚生大臣の監督下にある法人(当時の国民医療法参照)であるに対し、相手方たる被上告人医療団はその点では同一であるが、元来昭和一七年六月同年法律第七〇号に基き設立された公法人であつて、全国各都道府県を単位として支部を設け、当該都道府県の知事及び内政部長をそれぞれ支部長副支部長とするその他原判示のとおりの法人であることは当事者間に争いがなく、被上告人医療団が戦時独裁政権が厚生大臣を通じて全国の医療統制のため設立した法人であることは右設立に関する法律の各条文が明示しているし、被上告人市が公共団体であることはいうまでもあるまい。そうだとするとかかる背景の下になされた本件売買契約は形式上売買の表現をとるも、よろず強権発動をあえてした戦時独裁政権が衣の下に鎧をちらつかせて医療統制に乗り出した特別権力の下になされたものであるし、転売も亦それに等しい特別権力下になされたものである。そしてこれらのことは、法廷に現われた全証拠および弁論の全趣旨によつて明白であるから、本件のような案件において被上告人らは前記取引について(寄附行為の目的外であることをも含めて)何も彼も知悉し万事承知の上でなしたとみるべきである。そうすると本件では被上告人らに対する関係においては信義則違反は全然問題にならないと考える。
第二点 原判決は前記信義則ないし失効の原則を適用するに足る特段の事情ありとして種々なる事実を認定しているが、右認定には明らかな経験則違反および事実誤認があり、右違反は原判決に影響を及ぼすべきものである。すなわち、
(一) 原判決は、理由三の(二)において「被控訴人医療団は、終戦後その解散に対し、高橋重蔵を通じ控訴人協会に対して本件物件の買戻交渉をなしたが、同人は控訴人協会には現在資金もなく、病院経営の意思もないとして右申出を断つた」ことを認定した。そして、この事実(この事実自体が誤判である。けだし上告人協会に本件譲受けの意思のあつたことは被上告人提出の乙第五号証や第一審証人松本信一の証言によつても明白であるからである。)を重要なる支柱として(四)の結論を導いた。ところで、理由三の(二)の認定からどうして(四)の結論が導かれるのか。(二)の事実の正確な年月日は判示されていないが、いつそのようなことがあつたのか。高橋重蔵(上告人協会の理事でも評議員でもない)が申出を断つたことがどうして上告人協会が断つたことと同じような意味をもつのかそのような意味を持ち得ないとすれば高橋の行動から上告人協会の意思がどうしてそん度できるのか。そもそも高橋は上告人協会の権限ある機関にその申出を伝達したのかせぬのか。買戻しを交渉したとあるが、買戻代金はいくらと申し出たのか。現在資金もなく病院経営の意思もないというのは、資金のないことは資金が封鎖され、闇商人でもない限り新円を持たぬことは言うまでもないことであるが、そして資金がなければ病院経営したくても、現在できない相談であるが、そのような状態の下で帰来も経営もしないと早合点したのか。元来原判決が理由前段階で正当に判示するように売却行為は無効なのであり、この無効なことは上告人協会は当初知らなかつたのであり(この点判決(四)で「目的の範囲外の行為であることを知りながら」と判示しているがこの点は別に反駁する。)無効である以上上告人協会に「買戻す義務などありようがない。せいぜい善意の利得者として封鎖預金(現に利益の存する限度)を返す義務があるだけである。然るに買戻せとは何事であるか。かかる申出を一蹴することが(上告人協会はそんなことをしたことはないが)何故無効を主張し所有権に基く返還請求をあきらめることになるのか。理由齟齬も甚しい。
失効の原則をこれを狭く解する説(例山下末人・民事法学辞典上七六二頁(権利行使を遅滞するに至つた権利者の態度から、もはや権利を行使しないだろうと相手方が考えるのを相当とする云々」)からすれば前認定の高橋の態度は協会の態度ではないから、この説に従う限り失効の原則の適用はありえない。なおこの説は特に「衡平の見地」を強調しているが、原判決は一方において「日下毅一」の活動を「私的活動」で協会を代表するものでないとしながら、協会の意思機関代表機関でもない「高橋」の活動は協会の公的活動であるが如き印象を与える判示をし全く衡平を欠くことを指摘する。
東京地裁の一判決も狭い解釈をとる。即ち被解除者より権利行使の有無を相当期間を定めて催告すること、解除権不行使と同等の解除権者の表現行為のあつた場合などを要件としている。(民商法雑誌三四巻三号一六一頁より引用)この説によつても高橋の表現行為は権利者(協会)の表現行為でないから失効することはない。
前記昭和三〇年一一月最高裁判決は多少広い解釈をとり「相手方においてその権利はもはや行使されないものと信ずべき正当事由を有するに至つたとき」との表現をしている。この「正当事由」がどのようなものかは後にふれるがケイスバイケイスであろう。しかし前記山下説や東京地裁判決にあるような場合がそれに該当するのであつて、原判決の「高橋」の言動の如きものをうのみにしたとしてもそれは正当事由にはならない。
被上告人らはどうして協会の正当権限者(協会長、理事長)に返還を受けてくれるかどうかその条件を示して交渉しなかつたのであるか。高橋の言を漫然信じたとしても協会の真意は分りようがない。そんなことを漫然信じたとは考えられないが、そうであつたとしても重大な過失がある。かかる過失のある者を「正当事由を有するもの」と判断したのは誤りである。
失効の原則を広狭いづれに解釈しても、この原則の適用には慎重をきさねばならない、所謂伝家の宝刀でみだりに抜くべきではない(最高裁判所判例解説民事編昭・三〇年度二二二頁)ことは異論のないところで、本判決でアツト驚いたのは上告人協会のみであろう。
(二) 原判決は前記三の(四)で「本件厚生病院の売却が当時の控訴人協会の寄附行為所定の目的の範囲外の行為であることを知りながらこれをなし、しかも売却に伴う寄附行為変更の評議員会の決議(この評議員の決議自体協会の目的の範囲を逸脱し、凡そ財団法人の機関は目的の範囲内でのみ行動しうるもので、これを逸脱するときは無効である?)を経ながら認可申請の手続をとることなく放置して、みずから売買を無効とする結果を招いた」と認定した。
この認定は凡そ当時の客観的状勢を無視した公知の事実から目を覆うた非常識極る経験則に反する無茶苦茶な認定である。
施薬院協会のメンバーには法律家はいない。年配の医者乃至戦争被害者である斜陽族である。原判決はそもそも協会が自らすすんで金が欲しさに物件を手離したとでも考えたのであろうか。すでに述べたとおり戦時独裁政権が衣の下に鎧をちらつかせて医療統制とやらに乗り出したので、善良なる市民である施薬院の人々は当時臨時資金調整法で猫に小判のような金を得て大切な土地や施設を手離したのは、いわゆる国策に沿うてダイヤモンドを供出したのと同じである。目的の範囲外だから無効だなどとの高級な法律論が分る筈もない。漸く弁護士に対する鑑定料などを寄附する奇篤なスポンサーを得て法律家に聞いて始めて会得しかけたのは本訴提起の直前で確実にそれを知つたのは原判決を読んだ時である。その時まで上告人協会は万一負かされるならば何とかこぢつけて目的の範囲内の行為と判断されることと思いつづけて来たものである。
これに反して、本件売買契約等が終戦前後の混乱期に特別権力下になされ、被上告人らが何も彼も知悉万事承知の上でなされたことは本理由書(五)でみたとおりであるのに、この点には全く目を覆い、原判決は三の(三)において「転売に当つては被控訴人らは両者とも控訴人から本件売買の無効を理由とする権利行使がなされるなどつゆ知らず云々」とすら判示する。これと理由(四)の判示と対比してみて私法人たる上告人側に何と厳格に、公法人や公共団体側に何と寛大に認定していることよ。両者に対する認定は全く衡平を失し、極めて不公正なものである。
したがつてこの判示即ち原判決理由三の(四)の判示程、当時の公知の客観的状勢――臨時資金調整法によるかなしばり、戦争末期及び直後の混乱虚脱状態、戦時中の権力者のごり押し、闇商人脱税者以外の新円獲得の困難――など一切に目を覆うた。経験則無視の判断は裁判史上いまだ嘗てないものである。
善良なる庶民であり誤れる明治時代の事大思想の下に、育まれた協会幹部は、只々おかみのいわれるままに大切な財産を実質上無値価の貨幣と換えて供出し、寄附行為の認可申請も一旦売つた以上はこのようなことをするのが売つたものの義務であろうかとおそれおののいて認可申請をしたにすぎない。明治のよろず服従の教育に飼育されたものに近時の「思想」を持てなどいうこと自体無理というべきである。
協会が裁判を起すまでに若干の期間を経過したのは、裁判には年月と多額の費用を要し、しかも当時新円はいまだ一般には豊富に出まわらず、法律家に尋ねても必ずしも提訴に賛成する者ばかりでなく、必勝の信念なしには権力者を相手に訴訟など起せないと堪え忍んで来たものであるにすぎない。それをしも権利の不行使しかもそれを行使しないと判断するのに正当の事由があるとはどう言うことなのか。このような判断がなされるとは、一八年以上も血のにじむような努力を重ねて来た協会としては、フンパン物というよりは情なくてものもいえない。まるでおとぎ話を読まされているような気がする。そして裁判官は叡知にこりかたまつた方ばかりと考えていたのに泣くにも泣かれぬ気持である。
もつともつと極言したいことがいくらもあるが法治国の国民としてこれ以上は差控えておく。
(三) 若し原判決のような認定論理がまかりとおるならば、消滅時効の期間が満了しないのに権利が消滅し、取得時効の期間が満了しないのに満了したと同じことになり、不法原因給付でもないのに不法原因給付と同じになり、我々の法的生活の安定は根本から覆されることを憂える。
なお附言するに被上告人らは終始本件売却行為は目的の範囲内の行為だと主張して譲らぬのであり、このような不当な見解をもつている者に対し協会がいくら理をつくして返還を求めても、又は代案を持つて行つても、到底受付けて貰えぬことは明らかであり、このことは二十年にも及ぶ本件の審理中協会が譲歩に譲歩を重ねて和解案をもつて行つてもケンモホロロにはねつけたことで証明されている。(上告人はいまでも和解の意思は捨てていない。)
また本来上告人協会の如き福祉事業は国又は公共団体が経営すべきものであるのを奇篤な人々が特に財団法人で国や公共団体のたらないところを補うているものであるのにもつと大所高所に立つて、対処せらるべきで、原判決の前段理由の下における如く売却行為が無効との判断が下つた以上、国や公共団体ともあろうものが、なりふりかまわず勝てばよいと言うような態度は憚るべきだと考える。
認可のおくれたことを上告人の怠慢だとする点最も不当である。このインチキの認可は実は医療団が上告人協会関係者日下等の物件取戻し要求の動きあることを察知してこの認可がないことには訴訟上不利なりとし、いそいでなりふりかまわず強引に馬脚を現すような認可をして(之は医療団と京都府とがツーツーであることからできた。)
物件取戻しを封じようと策謀したもので、本件のすべての証拠、口頭弁論の全趣旨から、この真相を見抜けぬことはないと思う。これこそ協会が取戻しをあきらめたものと医療団が見ていない何よりの証拠である。
この真相を見抜き乍らなお上告人の怠慢だなどと、しらじらしいことを言うのならば又何をか言わんや、フリードリヒ二世の言として有名な次の言葉を想起する。
余は取る掠奮する盗む、するとやがて余の法律家たちが注文に応じてこれらすべてのことについてすばらしい理由をつけてくれる。(法学協会雑誌六二巻一一二頁より引用)
原審は抜かずもがなの宝刀を抜いたその稚気蛮勇は愛すべきものがある。しかし、抜いた後は支離滅裂切つてはいけないものを切つてまつた。もつと眼光紙背に徹するの見識と正義を貫くの勇気が欲しかつた。
(四) 原判決は、あるいは、寄附行為認可が二年後でなく、即時行われていたら上告人協会はなんらつけこむところがないのに偶々二年間遅れたことを奇貨おくべしとしていちやもんをつけているという風に解したのかも知れない。だとすれば、これこそまことに誤つた見解である。上告人協会は病院を経営し貧困者を救治することが生命である。そして本件の寄附行為の変更は、この目的を抹殺するような基本財産の売却を――到底許されないものを――何とか法律上許されるようにこぢつけようとしてなされたものなることは明らかである。
売買当時戦時中で病院経営はいくらか困難を加えたとはいえ、それは軍需産業以外はあらゆる部問に共通の現象で本来の目的を断念すべきさしせまつた状態ではなかつた。このことは十分主張立証してある。
若し目的到達不能ならば解散し類似の事業に目的を役立たせることが、財団法人の使命である個人に尊厳ある如く財団法人にも尊厳がある筈である。若し勝手気儘な寄附行為の変更が許されるのならば、財団法人は寄附行為さえ変更すれば目的の範囲外のどんなことでもできることになる。それでは寄附行為で目的を定めた寄附行為者の意思はふみにじられ財団の生命は失われる。だから貧困者を救治することを目的とする財団が、その目的を恣意的に廃するような寄附行為の変更――何らそんな必要もないのに専ら基本財産を挙げて売却することを合法化せんとするためのみの――評議員会決議は目的に反する機関の行為として本来無効である。原判決の揮つた長鞭は遂に馬腹に及ばなかつた。神のものは神に、カイゼルのものはカイゼルに施薬院のものは所詮施薬院に帰るより外はない。これが古今東西を通じての自然本来の事理である。
(五) 原判決は上告人協会がその怠慢で二年間も認可申請を遅らしたと認定している。(この認定は原判決理由三の(四)の認定に影響している。)認可が二年後になつているのはそのとおりであるけれども、上告人協会は昭和一九年三月に認可申請をしている。(甲第三一号証の三)このような厳然たる事実があるのにどうしてこのような認定をしたのか、不可解である。重要な証拠を見落し虚無の証拠でこのような認定をしたものとしか解しようがない。右申請書は当時京都府に提出した申請書の控として上告人協会に存するものである。その申請書が厚生大臣に取次がれたのかどうか、厚生大臣がどう処置したのか、そこまでは上告人には分らない。恐らくは京都府におかれたまま放置されたのではないかと察する。
第三点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽の違法がある。すなわち
(一) 大審院から最高裁になつてからも、判決に「審理不尽の」違法があるということがよくいわれる。成法上民訴法三九四条にもつて来ざるを得ないとすると「法令の違背」の法令とは具体的には何を指すのか、おそらくは民訴法一八二条「裁判をなすに熟していない」のに終局判決をなしたことを指示するものと考える。
そして本件こそは正にその適例である一審以来十八年余に亘り当事者はどの点について弁論を重ねて来たか。
基本財産全部の処分が能力外の行為として無効であるかどうか。原始寄附行為の下ではどうか。寄附行為変更の認可は二年もおくれているが効力は遡及するのか。そのような点が最大の争点として繰返し繰返し双方の弁論するところであり、高裁も亦最後までその点で勝敗を決するが如き釈明をし(高裁第五回の口頭弁論にもそれらの点のほか、上告人協会に対する金銭債権は不当利得が損害賠償か等釈明を求めているが失権効については何もふれていない。)最終近くの弁論に至るまで返還を請求する動産の詳細の釈明をなしていた。
(二) しかるに、原判決はこれらの点につきすべて上告人の主張を正しいとしながら、双方が予期もしていないで弁論を尽していない「信義則」その内容は「失効の原則」で、忽然として上告人協会を敗訴さした。若し裁判所がこの点に少しでもふれるところがあつたら、上告人はこの点の反証(現に書証が沢山ある)を提出して充分口頭弁論を尽した筈である。これ以上の「不公平な奇襲」があるであろうか。これをしも審理不尽にあらずして、世に審理不尽の判決なるものがあるであろうか。
第四点 更に原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな弁論主義(民訴法一八六条ないし一八九条)に違背し口頭弁論に基ずかずに判決した違法がある。すなわち
(一) 我国において、信義則の適用として失効の原則が適用ありとするがためには現在のところでは昭和三〇年一一月の前記最高裁判決に従うほかないが、同判決によれば次の諸メルクマールが主要事実(法律効果発生の要件事実)として明白に主張されねばならないのではないか。弁論主義はこれを目的論的に考えれば、その効用は、それによつてのみ「不公正な奇襲」を避けることができることに留意しなければならない。してみると失効の原則について最高裁の判示する要件のどれを落しても失効の原則を適用することは弁論主義違背になる。そしてその要件は
(イ) 多年権利を行使しなかつたこと。
(ロ) これを行使しなかつたことにつき少くとも権利者にその責に帰すべき事由があること。(これは不作為でもよい「例えば債務者より権利を行使すべき旨の催告を受けながら放置した如き)
(ハ) 責に帰すべき事由を云々する以上権利者が権利のあることを知つていたこと。
(ニ) 権利の不行使により債務者においてもはや権利を行使しないものと信じたこと。
(ホ) かく信ずるにつき正当事由のあること。
(ヘ) 今更権利を行使することが信義則に反すること。
以上である。若し被上告人らが、事実審で以上の諸点につき全部の主張を尽していたら、信義則なり、失権効の原則なりに通暁している原審控訴代理人においてそれに対する応答及立証活動を怠るようなことはしなかつたであろう。
その主張のないのにそのような点に引張りこまれることは徒らに訴訟の遅延を来たし、更でだに人的能力の限界にまで達していると言われる裁判所の繁忙に拍車をかけるようなことは遠慮せねばならなかつたのである。すなわち被上告人らの信義則の主張のようなことは主張自体失当があるとして却下さるべきものであり、まるで主要事実の主張として体をなしたものではなかつたのである。
(二) もつとも右メルマールの内「正当の事由」の内容の主張を要するかどうかについては、彼の借家法一条の二の正当事由という要件と対比して考えれば講学上疑問なしともないが、憶測が許されるとすればやはり、その正当の事由の内容たる具体的事実については、いずれか一方の当事者の主張を要すると解すべきであるが、事柄の性質上その事実を厳格に解すべきでなく、主張した具体的事実を緩和したグローバルな形で拡大してつかまえ、その範囲の事実ならば具体的事実を多少はみ出ても、多少外れても差支えないのではないか。しかし乍ら、主張された事実と全く別な事実或は何ら主張がないのに裁判官が正当事由と思う事実を証拠から取り上げることは許されないのではあるまいか。
(三) この点原判決が取り上げた信義則適用の内容となる事実として問題となるものに次の事実がある。
(イ) 高橋の言明。こんな事実は勿論どちらからも主張されていない。
(ロ) 上告人協会が本件物件の売却が能力以外行為だと知つていた事実。これも主張はない。そしてこの事実認定は明らかに「高度な法律知識は素人のよく知るところでない」なる経験則に違背する。
(ハ) 二年間も寄附行為変更認可申請をしなかつたことは怠慢である。この事実も主張はない。また寄附行為の変更について認可を要する(定款と異なり民法に規定がない)という素人に期待すべからざる法律智識を要求している。
(四) 要するに原判決は弁論主義にも違背しているのである。